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みらいよち

ポケモンの話題が多いです。

『耳をすませば』

雑記

先週の金曜日ロードショーで久々に見ました。

昔からジブリの中でも好きな作品だったのですが、想像以上にのめり込んでしまった。

 

 ジャンルとしては恋愛物になるんだろうけれど、NatuXaはどっちかというと、雫ちゃんの成長物語だと思ってます。

あとは夏の昼下がりと図書館のノスタルジー。

 

 

好きな男の子が将来の目標をもってて、イタリアなんかに行っちゃうし、バイオリンなんか作れちゃうし弾けちゃうし、本もたくさん読んじゃうし、カッコイイし…

という状況になると、人は焦ります。だから雫も受験勉強ほったらかして小説を書くという思い切った行動に出たわけです。若いね。

 

この雫の焦りに、とても共感できるのです。学生の頃よりも、大人になった今の方が。

相手だって、好きな異性でなくたっていいんです。友だちだろーが職場の人間だろーが、同じ環境で先を行く人がいると焦ってしまいます。

自分は一生このままなのか。どうしたら同じようになれるだろうか。

誰かについて行けないときの絶望感ときたら、胸を抉って楽になれるもんなら喜んでそうしたいくらい。一緒にいたい相手なら尚更ですね。だけど本当に心臓をむしり取るわけにはいかないので、少しでも楽になれるならばと努力をするのです。

雫の場合、その努力は小説を書くことだったわけです。小説を完成させれば、上手く書ききれば、少しでも近づけるんじゃないか、同じになれるんじゃないか、と。

 

けっきょく、雫は高校へ進学することを決めます。イタリア留学コースの誠司とは離れ離れになるし、小説を書き続けることも出来ない。でも決断します。

このとき、「小説を書いてみてわかった。今の私では勉強も何もかも足りない」みたいな雫の台詞がありますが、これが作中で一番好きな台詞です。心に刺さりました。うろ覚えだけど。

 

学生のときもだけど大人になったって、身近な人(たち)がすごすぎて、自分は何て馬鹿でのろまでつまらない人間なんだろうなぁ、なにもかも足りない欠陥人間だよ、はー死にたい! って思うことはしょっちゅうあります。むしろ毎日そんなかんじです。はー死にたい!

でも正直に言いまして本当に死んじゃうのは惜しいかなと思うので、少しでも楽になるために色々と努力をしているのです。このブログもその一環だったりする。

 

とにかく、雫は毎日なんとなーく生きてる中学生から、小説家を目指して勉強する中学生へと成長できたのです。

はい、よくあるお話です。でもそれがいいんです。

 

 

 

と、熱く語ってしまうくらいには好きな作品なのですが、実は終わりの展開に納得がいきません。

 

ここまで共感しやすい、等身大の中学生活を描いておきながら、

どうして最後の最後で、

雫と誠司の奇跡的な再会を描いてしまったのか!

 

ちがーう! そうじゃなーい!

プロポーズなんて、誠司がイタリア行く前に学校の屋上とかでさせて、劇中ではそれっきりにしておけばいいんだよ!

そこまでだったら、この2人は結婚できるのかなー、でも遠距離なうえ職人志望×アーティスト志望だからすったもんだして別れちゃうかなー、とか色々と想像できるじゃない!

「心の中でしずくー!って叫んでたら本当に雫に会えた、奇跡だ!」とか言われちゃったら、この2人は夢を叶えて幸せになるんですよーって言っちゃってるようなもんじゃない! そんなファンタジーはいらないんだよぉぉぉ!!

 

 

 

昔、母が言いました。

「『耳をすませば』好きなんだけど、最後のシーン要らないよね」

当時は意味が分かりませんでしたが、現在では嫌というほど判りました。